先⽇、事務所のトイレ掃除をしていて嬉しいことがありました。皆さんもトイレ掃除を当番制でしてくれていると思いますが、私も昨年まで事務所のトイレ掃除をしていまして、毎週⽉曜⽇を担当していました。期待の新人O君が⼊社してくれてからは「私がやります」という⾔葉に⽢え、以降トイレ掃除をお願いするようになりましたが、久しぶりにトイレ掃除をしたら、かなり汚れていました(笑)⾃分は⾒えるところだけでなく、トイレの裏側や、⼩便器のフタの内側など、⾯倒くさくて汚れやすいところも掃除していましたが、そこがされていませんでした。
せっかく掃除してくれているので⾔うべきか⾔わぬべきか悩みましたが、「ごめんやけどもうちょっと隅々まで頼むわ」とメンバーにお願いしました。それからしばらく経って、再度掃除させてもらったのですが、「絶対掃除してへんやろな〜」と思っていたら、なんと…キレイに掃除されていました!まったくもって想定外の出来事であり、期待を超えるトイレ掃除をしてくれていました。疑ってすんませんでした。
期待を超えるということで、私がすぐに頭に浮かぶ⾔葉は、タニサケの松岡会⻑から教えてもらった「無上意(むじょうい)」という⾔葉です。「無上意」とは「これ以上無い⾏為」という意味の仏典から来ている⾔葉ですが、松岡会⻑から聞いた無上意の話を紹介させてもらいます。
《⼆つのグラス》
四国⼋⼗⼋箇所の巡礼を終え⼀⼈で⾼知空港の⽇本料理店「司」に⼊った年配の客はビール⼀本と、⼟佐名物カマスの姿寿司を⼀⼈前注⽂した。と同時に、「申し訳ないが、グラスは⼆つで」と頼んだ。
若いウエートレスは怪訝に思ったがそれでも「かしこまりました」とお客の指⽰に従いビールとグラス⼆つを出した。すると客は⼩さな額縁に⼊った⼥性の写真を⾃分の⽬の前に置き写真の前のグラスにビールを注いだ。そして、⾃分のグラスと、静かに乾杯をした。
たぶん、亡くなった奥様の写真を持って巡礼をしてきたのだろうと察したウエートレスは寿司ができあがって運んだ時にお箸と⼩⽫を⼆組、さりげなくテーブルに置いた。
その後、ふるさとへ帰ったお客からの店への⼿紙には次のように書かれていたという
「四国巡礼の旅には、家内の写真と⼀緒に出かけ、どこでも⾷事のたびに⼀緒にビールを飲みました。しかし、お箸と⼩⽫を⼆⼈分出していただいたのはお宅の店の若いウェートレスさんだけでした。こんなことは初めてでした。しかも、巡礼の最後に⼊ったお店で…ほんとうに驚き、感動で体が震えました。帰りの⾶⾏機の中では、どうしても涙が⽌まりませんでした。本当に有難うございました。どうぞ、あの若いウエートレスさんによろしくお伝え下さい」…と。
⼈は⼤それた⾏為や、お⾦のかかった⼤きな仕掛けに感動し、感激するのではありません。ほんの⼩さな⼼遣い、さりげない思いやり、温かな⾒返りを求めない⾏為に感動するのだと思っています。気配りや気遣いには特殊な能⼒はいりません。学校の成績も必要ありません。
やる気さえあれば誰にでもできる簡単なことを、⼈は中々できません。私も中々できません。⽇々精進!さぼり癖に打ち勝ち、今⽉もムチ打って頑張ります。
東名鍛工株式会社 代表取締役社長 宮嶋俊介